こんにちは。
出会いの専門家、横ちゃん(@yokota1211)です。
こちらに僕の今までの主な経歴をまとめました。
主に
仕事に関する職歴と恋愛に関する恋愛履歴をメイン
に書いてあります。
あまり出会いの場で長々と自分のことをお話しするのは好きではないので
「こちらを見れば横ちゃんのこれまでの人生の軌跡がだいたいわかるよ!」
っていうのを、あらかじめ作っておきました。
僕にご興味ある方はお時間がある時にでもサラーッとお読みいただけたら幸いです。
えらく長いのでね、テヘテヘ!
ちなみに出会いの専門家横ちゃんの現在のプロフィールはこちらだよ〜♪
↓↓↓
横ちゃん(横田健一)の主な職歴と恋愛履歴(年表)
小学校〜中学校時代
↑(中学校時代の僕、わりと幼き頃からお茶目さんでした♪)
小学生時代、クラスでは控えめな方だけどお笑い的な感じでした。
自分から話を展開していくタイプではなく、クラスの誰かや先生から話をフラれると小ボケをかます感じ。(笑いを狙う時もあれば、単に笑われてた時もありました。)
小学生時代での1番の思い出は学校終わりにクラスのお友達と缶蹴りをして遊んだことです。
ちなみに小学生当時は
「借家で家が1階建てだった事」
「ファミコンの本体を持ってなかった事」→小学4年時にようやく購入してもらった
にとてもコンプレックスを抱いていたと記憶しています。
習い事は週4回の水泳(小1〜小6)、週3回のそろばん(小3〜小6)をしていました。
どちらも姉の影響により始める、姉弟あるあるってことで(´∀`=)
水泳は今でもたまに泳ぎますし、現在勤めている福祉施設にて子供達の引率で毎週一緒にプールに入ってます。
水の中で1人黙々と身体を動かすのがなんか気持ちいいんですよね〜╰(*´︶`*)╯♡
そろばんは珠算3級、暗算2級ぐらいだったかと!
当時、祖父母くらいの先生にとても懐いてたのを記憶してます。
家にゴキブリが出た時にパニクって、そろばんでゴキブリをぶっ潰した事があるんですがそろばんがバキッと割れて部屋に珠が散乱した思い出があります。
ゴキブリはもう大嫌い〜\(^o^)/
中学生時代に入ると、部活でバドミントン部に入りました。
卓球部と迷ったんですが、姉が中学の時卓球部だったのでまた一緒なのはイヤだと。
運動神経はなかったんですが、多少努力したのか団体戦もレギュラーで参加する事ができました!
ただチーム自体がそこまで強くなかったので、対外試合では負けてばっかりでしたけどね〜♪
バドミントン部で1番楽しかったのは、お隣のコートで練習している女子バドミントン部を男性部員たちとキャッキャッ言いながら眺めてた事です。
学業に関しては小学生時代は普通ぐらいだったのが、結構伸びました。
中学2年から塾にも通い出した成果もあったと思います。
両親の環境づくりの賜物です、感謝感謝♪( ´▽`)
※中学時代の学業はこんな感じでした。
↓↓↓
高校時代
高校生時代、当時県内ではわりと優秀な高校に進学する事ができました。
だけど周りの同級生たちの頭の良さと勉強量に高校1年時に早くも挫けちゃいました。
あとは県内の進学校に入ったというのに、高校の入学式当日の先生の挨拶にて
「3年間努力して、希望する大学に進学しましょう!」
的な言葉を頂いた記憶が今でもあるんですが、、、
また勉強かと(´∀`=)
中学時代、自分なりには結構勉強したはずなのに。
この先大学、そして就職の際にも同じ流れになるのかなぁと思うと相当にゲンナリしたのを今でも覚えてます。
で、結局高校生時代はどうなったかというと。
麻雀やトランプ(大富豪、ポーカー)に明け暮れる日々でした。
当時在籍していたバドミントン部を部室で麻雀やトランプをしたという事で、
何度か停部にしてしまいました。
真面目に取り組んでた先輩方、顧問の先生には大変ご迷惑をかけました´д` ;
ちなみに高校時代に興じていた麻雀ですが、
順位や点数計算をマメに計算していたのが功を奏したのか、勝ちキャラだった。
その分勉強では完全に負けキャラでしたけどね〜^_^;
高校生時代には恋愛とか浮いた話はなし!
多分キモキャラだったんでしょう。
あっ、でも好きな女性2、3人は告白したんで後悔は一切ないです。
ほとんど口も聞いた事のない女の子に告白をするもんで、当然ふられてましたが。
今振り返ると無謀すぎでしたね^_^;
大学時代
高校時代は県内の進学校で最下位の成績でした。
ただし最下位であっても進学校であります。
大学は近くの国立大学を前期だけ記念受験。(試験中寝てましたww)
そして私立大学は県外に行けば、なんかハッピーになれそう♪という理由だけで受験し合格しました。
そして大学進学で石川県→愛知県へ。
しかし、大学初日から同年代の友達が一切できませんでした。
自分から声を掛けるのがなんか恥ずかしかったんです。
てな訳で、超孤立してしまいました。
その後、キャンパスにてサークルや部活動の勧誘をしていた際。
たまたま声を掛けられた先輩が同郷の石川県出身という事で気を許したのもあり、ワンダーフォーゲル部に入部しました。
山に登る楽しさも味わいつつ、過酷なトレーニングに嫌気をさし1年で辞めました。
※夏合宿、南アルプスでの2週間あまりの山行は今でも覚えてます。
体重が2週間で約10kg痩せました、精根尽き果てたなぁ〜(´∀`=)
因みに大学時代、人生初めてのバイトは豊橋駅前の麻雀荘でした。
ただバイトは部活の合宿等もあり2ヶ月ほどで辞めました。
ヘトヘトになるくらい朝晩麻雀をしました。
20歳
大学1年の秋から始めたパチンコ屋のバイトでようやく友達できました。
それから2年以上はパチスロと競艇に明け暮れました。
パチンコ屋のバイトは半年程でバイト仲間と一緒に辞めました。
パチスロに集中したくって(´∀`*)
その流れで大学2年終了後、大学も辞めました。
当時は完全に生活がパチスロ一色になってました、ヒョエ〜♪( ´▽`)
大学を辞める際、母に「大学を辞めたい」と手紙を1通したため実家に郵送しました。
多少はガミガミ言われましたが、最終的には了承してくれた両親の懐の広さ。
今でも本当に脱帽であります。
当時の恋愛について。
ちゃんと恋愛をしていたのかはわかりませんが、20歳ではじめて彼女ができました。
多分 “話のネタ” という意味合いが強かったように思います。
彼女と会うよりパチスロをしている時間が圧倒的に多かったですから´д` ;
※2ヶ月ほどでフラれました、すいやせん。
21歳
大学を辞めてからも、しばらくは愛知県豊橋市にてパチスロに明け暮れる生活を送り続けてました。
「このままパチスロばっかりしてていいのかなぁ〜」
という心の葛藤も少しはありましたけどね。
そんな21歳の11月、僕の最愛の祖父が亡くなったという訃報の電話が姉からありました。
そしてお通夜やお葬式のために帰郷しました。
このまま遊んでるままなのもどうなのかなぁ〜´д` ;
と思い、とりあえず地元の石川県に戻ることにしました。
石川県に戻って何かやりたいことがあったわけではなかったんですけどね。
「何か環境を変えたい!」と当時は思ってました、多分(´∀`=)
ちなみに21歳、恋愛はとくになし。
22歳
石川県に帰ってきたから、就職は考えてはいなかったです。
今思うと、なんでですかね?♪( ´▽`)
パチンコ屋でバイトをしながらゴルフ場のキャディーを掛け持ちする日々でした。
その他にも色々と短期的なバイトはしてました。
ちなみに、ゴルフ場で
ナイスショ〜〜〜ット!
って言ってました。
22歳、恋愛は特になし。
地元の友人に合コンや飲み会にはたまに誘ってもらってましたけど^_^;
23歳
あいかわらず合コンや飲み会には誘ってもらってました。
そして当時、僕のフリーター(特にパチンコ屋のアルバイト)という肩書きが非常に評判が悪いのではないか、と思うようになりました。
よし、就職しよう!
と思った瞬間でありました。
女性にモテたいから就職しよう!
という、今思うと非常に滑稽な理由で就職を決意した僕でした。
24歳
地元金沢市の豆腐製造会社に就職しました。
仕事柄、当時はめちゃくちゃ豆腐を食べてました。
出来立ての厚揚げにしょうゆをかけて食べるのは最高だと思いました。
ただ仕事は一通り豆腐製造のライン(釜〜製造〜仕分け)をマスターして、全行程の業務を兼任するようになった頃には、
仕事は完全に飽きてました\(^o^)/
恋愛について少々。
就職して正社員だというマインドコントロールもあり、飲み会では結構ウケがよかった気がしてます。
そして今思うとほんとうに素敵な女性とお付き合いさせていただいた、その交際のスタートが多分23か24くらいだったと思う。
でも正直当時の自分の心は全くときめいてはいなかった記憶があります。
なんで付き合い始めたのかと言われれば、…ずばり先方から押されたからです。
今思えば、とてもありがたい事なんだけどなぁ〜^_^;
26歳
その後職を転々としました。
特に長時間労働(週6、12時間労働)をしていて、ちょっと萎えちゃってました。
そして結婚を考えていた(と思う)彼女とも関係は悪化し、最終的には破局しました。
本当に素敵な女性でした、お幸せにされてることを今も願っております。
その彼女が破局間際に紹介してくれた僕と同い年の起業者。
彼に出資するということから、個人事業という道に進むことになります。
当時の恋愛について少々。
その頃はやたら飲み会を主催していた時期でした。
とにかく飲み会を通じて男女を繋いでた気がします。
今の僕の活動の片鱗が現れてた時期です。
自分自身はそんなにもだったかな〜。
ポツポツと女性の方と遊んでいました、何気にこの時期はモテてたかも^_^;
27歳
実はその頃までの自分は過去のスロットの貯金や訳もわからずしていた株などもあり、そこそこ貯金がありました。(おおよそ1000万単位ぐらい)
こんなこと書くってことはもちろんなのですが、全てなくなります。
出資した知人がポシャッた(倒産)っていうのもありますがね。
ここからは逆に自転車操業のはじまりです。(ワッセ、ワッセ!)
仕事自体は個人で食品の設備や機械、原材料の卸をしていました。
お金自体は全然回っていませんでしたが、この時はまだ生活自体はできていました。
28歳
仕事は特に変化なし。
ただし、徐々に借金の金額は増えていました。
なるべくお金の事は考えないようにしてました、現実逃避してたなぁ(´∀`=)
当時の恋愛について
2年前程に知り合った女性(長らく友人関係のあと交際に発展)と結婚しようという話になり、ご両親に挨拶に行きました。
そして次の日になぜか音信不通´д` ;
その後、なんとか連絡をとる事ができたのですが
結局は電話にて別れを切り出されました。
理由は色々と言われましたが、やっぱ巨額の借金が理由かなぁ〜´д` ;
さすがの急展開になかなか頭と体はついていけなかったです。
彼女も僕と結婚するにあたり相当揺れたと思います。
幸せにな〜╰(*´︶`*)╯♡
29歳
仕事を通じて知り合った方のツテで大阪に拠点を移すことにしました。
弁当を作ったり、ドーナツを揚げたり、タイ焼きを焼いたり、焼きそばを焼いたり色々していました。
これが後のらぶらぶどーなつの原点だったかもしれません。
金銭的には、借金の自転車操業はピークに達していました。
ここらへんからは恋愛からは避けるようになりました。
そもそも出会いの場というものに、とても消極的になりました。
当時の自分の状態では将来をとても考えられませんでした。
以降、自分の恋愛は止まってしまいました。
会社経営もとても苦しかったですし、恋愛する気持ちにはなれなかったです。
31歳
その後も色々とありました、、、主に仕事上ですけどね´д` ;
そして、大阪で運営していた自分の会社を一度綺麗にする決断をしました。
30代もしばらく過ごしてみて、人生を見つめ直した結果の決断でした。
そして最後は夜逃げするような形で、再び地元石川県へ戻りました。
借金も家族の協力のもと、きっちりと整理できました。
ほんと両親には頭が上がらないです。
32歳
とりあえず地元にある、某物流センターにて勤め始めました。
当時派遣社員→現在は直雇用に。
それまでの自分は商売に関しては「お金」、
特に「自分さえ儲かれば」って感じで動いてました。
でもそのことにめっちゃ違和感を感じていたんです。
「もっと人に喜ばれることができたらなぁ」
「人のお役に立てることがしたいなぁ」
そう思ってた時、親戚の所有しているプレハブの小屋が空いていることを知りました。
そこをお願いして、なんとかで格安に借りることができました。
そのプレハブ小屋で始めたのが
「らぶらぶどーなつ(通称らぶど)」
という手作りのドーナツ屋でありました。
※「らぶど」に関する参考記事はこちらどす♪
↓↓↓
33歳
その頃は物流センターに勤めながら、副業としてらぶどを経営してました。
正直に申せば、らぶどはあまりにも利益を度外視した値段設定をしてしまいました。
その為にらぶどの収入はほぼゼロ。
むしろ少しずつ自分のお金を持ち出してました。
またマイナスかって感じ´д` ;
借金こそしなくてもなんとかなる程度でしたが、
自分の好きな事をしていても収入を得なければ継続できない!
と思い出したのはこの時でした。
34歳前半
この状況をなんとかしなければという思いから、
ご縁を頂いた地元の大手スーパー量販店に卸させてもらう事になりました。
今でもめっちゃ感謝してます╰(*´︶`*)╯♡
それから約半年間、死に物狂いでドーナツを揚げていました。
近所の方にお手伝いしていただいてドーナツの生地を丸めたり、袋にシールを貼ったり…。
正月も休みはなく、毎日5〜6店舗ほど配達して回りました。
しかし、敢え無く半年程で撤退を決断しました。
理由は
①収益がほぼ挙がらなかった。売上はかなり上がったが、経費も同等にかかっちゃいました。
②あまりにも忙しくなり、お店に遊びに来る子供たちとのコミュニケーションが全然できなくなった。
③配達の際、居眠りをして車を事故してしまった。
直接的には③番目の理由なのですが、
やはり日頃の無理が祟ったのと、自分の計画性の無さが原因だったと思います。
34歳後半
34歳の後半というか2014年4月、
ブログ
という存在を知りました。
近所の本屋さんでたまたまネット界隈のコーナーに立ち寄ったのがきっかけでした。
自分もドーナツ屋の集客に利用したいと思い、早速ブログをスタートさせることにしました。
因みにかの有名な無料ブログアメブロでした。
ブログを書く事自体はとても楽しかったです。
「自分の中にある心情や思いを世の中に発信したい!」
と以前から思っていたのもブログが楽しい要因だと思います。
それまでの僕は何度か”らぶどニュース”という手作りのチラシを作ってました。
それのweb版のような感じでした。
35歳前半
ブログを書き始めて9ヶ月くらい、毎日欠かさず更新しました。
ただ、集客に結びつく事はほとんどありませんでした。
プロブロガーの方々からはたかが9ヶ月と言われそうですが、、、♪( ´▽`)
そもそもブログに書いている内容も今考えると、主張があるのかどうかもよくわからない。
そんなブログでしたから、書いてる本人の手も次第に動かなくなりました。
しかし、9ヶ月間ブログを書き続けた自分の経験から
「ブログという個人メディアは自分の夢を叶えられるツールであり、武器になる!」
と、感じるようになりました。
ほとんど集客に繋がらなかったとはいえ、ポツポツと僕のブログを読んでくれる人。
そしてブログを読んでらぶどに来てくれたお客さんがほんの少しですがいたからです。
そして2015年の正月にある決断をしました。
「ブログ」をもう一度新生させよう。
「らぶど」をもう一度新生させよう。
そして、「横田健一をもう1度変えよう!」と決めたのでした。
たまたま出会った福祉施設での仕事
らぶどを2015年2月に締めることになりますが、さかのぼる事2014年の10月。
ちょっと手持ちのお金がニッチもサッチもいかない状態になりました。
当時の物流センターの夜勤だけではお金がどうにもならなくなった僕は昼間のバイトを探すことにしました。
そしてたまたま、近所で求人を募集していたのが今お昼に勤めさせていただいてる福祉施設なのであります。
正直に申せば、選んだ理由は
・時間的に無理のない範囲でできそうだった
・場所が住まいからとても近かった
・即決だった
と、そんなに大した理由ではなかったです。
僕の勤める福祉施設とは
特別支援学校等に通う子供たちや卒業して就労している方が来る施設でした。
勤め始めた頃は子供達の様子にビックリしました。
でも今ではこんな風に考えるようになりました。
「何かしらの障害をもちながらも、たくましく生きている子供達とコミュニケーションしている内に、むしろ僕の方が励まされているんだなって!」
こんな職場に巡り会えて、僕はめっちゃ運が良かったって人生で初めて思いました。
35歳後半、当ブログをスタートする
2015年6月末、Yokota@Blogとして新たに自身のブログをWord Pressで立ち上げました。
(※現在のブログ名は「横ちゃんがゆく!」です。)
ブログを契機に収入を得られたらいいなぁと思ったのもあるんですけど。
自分の考え方や経験、知識が少しでも人の役に立てたらいいなぁ
自分の記事を読んだ人が少しでもクスッと笑って元気になってくれたらいいなぁ
という思いがあったからです。
当初は結婚や婚活をテーマにしてブログを書いてました。
自分自身が結婚に対してとても興味関心があった事、またハッキリ言えば女性が好きだったからです♪( ´▽`)
36歳
当ブログ開設当初は婚活と称して様々な出会いの場に行きました。
合コン、街コン、婚活パーティー、、、
それはそれで楽しかったです。
ただ、過去に自分で色々とビジネスをしていたからなのでしょうか。
「自分でも出会いの場を作りたい」って思うようになりました。
そして僕が36歳の4月。
初めて当ブログで「飲み会」を企画し、開催することにしました。
↓↓↓
当初は「自分に合う彼女と出会いたい!」という私欲が大きかったです。
ただらぶど飲み会を続けていく内に、飲み会の参加者さんから喜びの声を頂くことが多くなっていきました。
「らぶど飲み会、いい雰囲気でめっちゃ楽しかったよ!」
「らぶど飲み会で知り合ったお友達とご飯に行ってきた!」
「横ちゃんのおかげでらぶど飲み会で彼氏ができた!」
そう言ってくれると、僕もとても嬉しい気持ちになりました。
僕自身、すぐに彼女ができたわけではありませんでした。
だけど普段はなかなか知り合えない人と、当ブログやらぶど飲み会を通じて出会いを頂戴する事ができました。
僕が思う「楽しい雰囲気の飲み会にしたい」という気持ちが、
僕の独りよがりではなかったんです、我ながらビックリでした♪( ´▽`)
37歳
そして自身でらぶど飲み会という出会いの場を作り、運営し続けて1年半。
ありがたくも僕ら自身もらぶど飲み会がきっかけで出会いました╰(*´︶`*)╯♡
↑(現在僕が交際させていただいてる彼女のかおりちゃんと♪)
なぜ彼女と出会えたのか?
偶然と言えばそれまでですけども、それだけではないと僕は思ってます。
・らぶど飲み会という出会いの場をずっと続けてきた事。
・らぶど飲み会という場、雰囲気を大切にしてきた事。
自分の力だけでは絶対にご縁がなかったと僕は思います。
らぶどの仲間
仲間たちの優しくアットホームな雰囲気!
があってこそだと僕は思ってます。
感謝してもしきれません。
そして、38歳の現在〜
そして38歳となった現在。
彼女と幸せを感じながら日々を過ごしています。
※追記、2018年7月に残念ながら彼女とはお別れになりました。
お互いに新たな道へ、巣立ち(´∀`=)
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人生いろいろですけどもね。
そんな当ブログ「横ちゃんがゆく!」は沢山の方に読んでいただけるようなメディアに成長していました。
これからも更に当ブログを軸に
出会いのきっかけを作り、ご縁の輪を繋げていく!
活動ができたらと思っています。
僕自身が今あるのは、これまで自分を応援してくださった方々のおかげだと思っています。
少しでも恩返ししていく所存です。
もちろん自分自身もまだまだ未熟です、これからも更なる努力と精進を重ねる所存であります!
最後に一言
以上、現在に至るまでの僕の人生の軌跡でした。
またおいおいと付け足しいこうと思っております♪( ´▽`)
※出会いを作る専門家、横ちゃんの自己紹介はこちらどす。
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